千葉・船橋革新懇 戦時は出撃の地 現在はオスプレイの駐屯地 学習会「木更津の昔と今」 

 船橋革新懇は2月10日、「建国記念の日」企画として、船橋歴史教育協議会と共催で学習会「軍都・木更津の昔と今」を開催し37人が参加しました。

 戦争で中国への爆撃に出撃した木更津基地の役割、街とのかかわりなど、詳細な資料と調査活動をもとに、元高校教諭で市史編さん委員の栗原克榮さんの講演で学ぶことができました。アンケートは17人から寄せられ、「父が海軍航空廠に所属していたが、どんなことをしていたか知ることができた」「基地拡張に反対する住民運動があったことを初めて知った」などの感想が届きました。

~学習会より~【軍都・木更津】のゆえん
「海軍東京湾航空隊」として1934年に飛行場が建設され、38年の中国・重慶空襲などに出撃、日本最大の飛行機修理工場が建設された。戦後、16万坪の埋め立てを行い「軍港」を整備、アメリカ空軍から日本に返還されて以降、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊3軍の軍事基地に。現在、オスプレイの駐屯地としても注目を集めています。

オスプレイは2017年に「整備基地」として海兵隊のMVー22オスプレイ2機が配備された。以降、17機の整備基地となる。市議会は、「基地移転」を掲げた時もあったが、現在「基地との共存」を進めている。「オスプレイはいらない」市民運動も活動している。

(「船橋革新懇ニュース」より)

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