歴史に向かい合い、平和と民主主義を学ぶ場  ヒロシマ革新懇

■復活された「紀元節」と「建国記念の日」

 2月11日(火)、広島市中区のメモリアルホールで23回目の「ヒロシマ革新懇デー」が開かれました。参加者は130名余。ヒロシマ革新懇の利元事務局次長が23年におよぶ「ヒロシマ革新懇デー」の取り組みを紹介。日本の敗戦とともに廃止された「紀元節」を、自民党が「建国記念の日」として復活させた2月11日。毎年、歴史に向かい合い、平和と民主主義を学ぶ場として取り組んできた、今年は日韓問題と安倍政権の歴史認識について、歴史学者の中塚明先生に「安倍政権の歴史偽造をただす――日本は朝鮮半島で何をしたのか」と題し、記念講演をお願いしたと講師の中塚先生を紹介しました。

■日本はなぜ戦争に負けたのか、明治は良かったのか

中塚氏は、まず「日本は戦争になぜ負けたのか」について「強いアメリカと闘ったから」などの日本国内の論調を紹介されました。多くの知識人や文筆家を含め、世界大戦の前に日本が何をしたのか、語らない、解明してこなかった、認識の欠落です。日清・日露戦争までさかのぼり、台湾・朝鮮半島、満州等での蛮行、植民地支配への反省、歴史研究や教育が抜け落ちていること、その背景は、日本の政治や政府が、歴史の真実を偽造し、隠蔽し続けてきたことと指摘されました。モリカケ疑惑・桜を見る会、自衛隊派遣日誌など、現政権にも引き継がれているようですが、かつての日本政府の公刊戦史はウソと偽造のオンパレード、読んでもわからないし面白くもない。国民にウソをつく、国家機密として真実を隠す、同時にマスコミや有識者も迎合し追及してこなかったなど、日本に広がり、積み重ねられた重大な問題を批判されました。

■アジアの人々は日本をどう見たか

 安倍首相の「戦後70年談話」は、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と、日本が植民地解放のさきがけだったかのように語りました。同時代のアジアの政治家、インドのネルー首相は1938年に、日露戦争は「侵略的帝国主義国のグループに、もう一国をつけ加えたに過ぎなかった」「その苦い結果を、まず最初になめたのは朝鮮であった」「日本は帝国として政策を遂行するにあたって、全く恥を知らなかった」と書きました。アジアの有識者は辛辣で冷徹な言葉を残しています。
 「日本とドイツはなぜ違うのか」の質問に、真実が隠され、歴史の解明が行われていなかったこととあわせ、古事記や日本書紀まで遡る「三韓征伐」の朝鮮侵略の流布など、朝鮮半島への差別意識が連綿と植え込まれてきた、豊臣秀吉の朝鮮出兵にも現れる、日本の「文化の歴史」も指摘されました。

■歴史を学ぶ大運動を

しかし、戦後になると、機密だった膨大な公刊戦史が「原則全面公開」されます。アジアとの交流や研究者の努力で、現地の文化や歴史を学び、埋もれていた戦争資料が発掘され、ウソが暴かれ、真実が明らかになりつつあると、豊富な資料を駆使して、日清・日露戦争の実態、朝鮮支配の残虐さ、日本軍の蛮行を活写されました。さらに従軍慰安婦問題や徴用工問題など、歴史に向き合わない安倍政治は、世界に通用しないと指摘し、こんな状況を変えるためにも、歴史の真実を学ぶ「大学習」をと提起されました。質疑を含めて100分間、90歳の高齢を微塵も感じさせない強烈な講演に、しっかり学ばせていただきました。刺激を受けた参加者一同、「大学習に必要」と用意された中塚先生の著書、分厚くて値段も張る研究書もその場ですべて売り切れ。こんなことはあまり経験がありません。

■安倍政治を終わらせるために、ヒロシマ中に「市民連合」を

最後に、戦後最悪の安倍政治を倒すためにも、市民と野党の共同で政治を変え、憲法が生きる日本をヒロ
シマから作ろう、ヒロシマ中に「市民連合」をつくろうと集会アピールを採択し、23回目のヒロシマ革新懇デ
ーを終了しました。

(ヒロシマ革新懇FaxニュースNo.94から)

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