3月1日は、1939年(昭和14年)枚方禁野(ひらかたきんや)にあった火薬庫が大爆発をし、94人が死亡し多くの負傷者や家屋の焼失、また人々の緊急避難など、大きな出来事があった日です。
いま、学習会などで祝園(ほうその)弾薬庫拡張問題が話題に上がるなか、まず出されるのは戦前の枚方での火薬庫爆発の事件です。この爆発後火薬庫が縮小され、祝園地区に移転され、戦後の自衛隊分屯地・弾薬庫としていまに至ります。
枚方の私たちは、この禁野火薬庫爆発や同時にあった香里火薬庫の存在、そして戦後のこの地を団地や工場に変化してきた経過等を改めて学ぶ必要があると感じました。
火薬庫爆発日にあたる3月1日に、枚方革新懇事務局5名で戦跡巡りをしました。爆発時刻ちょうどに石碑の前で献花・黙とうをし、数々の説明板や資料にも接しました。枚方市も貴重な歴史資料や数々の歴史遺産・戦跡の保存をしていて、3・1ビキニデーをふまえ、3月1日を「平和の日」と制定し、平和を祈念し平和を考える行事を続けています。
枚方革新懇は、火薬庫爆発当時の市民の様子、戦後、火薬庫復活の動きをやめさせた市民の運動など、もう一度ふり返りながら大軍拡と火薬庫増設反対運動に取り組む決意です。