皆さんから多くのカンパをいただき(堺と大阪で合わせて9万円超が集まり、支援物資を渡しました)、堺に戻ってからも更にカンパが寄せられています。引き続き、能登支援にどう活かすか意見も聞きながら進めたいと思います。
3月9日から3泊4日、堺市民懇メンバー6名で、輪島市、珠洲市で支援物資を渡し、仮設や被害のありさまを見ながら懇談を行ってきました。
輪島市の懇談では、「情報が断絶され、なにより孤独・孤立感が怖い。(今も居住者の頭越しで決まっているという批判も含めて)今でも地震の恐ろしさ、恐怖がある。この地区のコミュニティの絆の強さに助けられた」など語られました。こちらから持っていったお米50キロを民医連の輪島診療所に届け、お医者さんや看護師、事務長さんらと交流。医師は正月で金沢に帰っていたが被災直後、車で何時間もかかり輪島に戻り診療所をすぐ開けたと言っていました。民医連傘下の診療所が輪島にあることのありがたさに感謝でした。
私のふるさと輪島市南志見(なじみ)地区の懇談では、「子どもたちのことを考え、泣く泣くふるさとを離れざるを得ない方がたくさん出た。他県からの作業員さんが朝晩コンビニを賑わしているが、地震前までそれなりに賑わっていた街はしんと静かなまま。宿泊出来るところは限られており、作業の方たちの利用が目立った中で、一棟貸しの宿泊所がつくられ、食事もできるようになった」と聞いて一安心しました。(堺市民懇事務局長 田中普一)