20代と90代がシンポジウム 戦争につながるあらゆることをなくしていこう  宮城革新懇が「ふたたび戦争を繰り返させない集い」

 宮城革新懇は12月7日、仙台市戦災復興記念館で今年2回目となる「ふたたび戦争を繰り返させない集い」を開催し、100人が参加しました。
 シンポジウムを行い、元秋田県革新懇代表世話人の鈴木諄さんと、沖縄出身で現在慶応大学法学部に在学している崎浜空音さんのおふたりをシンポジストに迎えました。コーディネーターは芳地博光宮城革新懇常任世話人が務めました。

戦争は人災であり、人間の心を失わせる
 まずおふたりがそれぞれ報告しました。

 鈴木さんは、満州鉄道(満鉄)の幹部社員の家庭に生まれ、満州で育ちました。終戦直前の1945年8月、国民学校6年生の夏休みに両親の許可を得て満鉄の特急「亜細亜号」に乗り、朝鮮との国境・鴨緑江の安東まで一人で旅行しました。しかし、8月15日の終戦を契機に中国各地で暴動が起こり、鉄道はストップ。徒歩での帰還を余儀なくされました。1年後、奇跡的に家族との再会を果たすまでの苦難の経験を語りながら、「戦争は人間性を、人間の心を失わせる」と述べ、「戦争に反対し、平和を守るために声を上げることが、私たちが人間の心を失わないことにつながる」と結びました。

 崎浜さんの生まれ育った北谷町は、今も町面積の50%が米軍基地という「基地の町」。崎浜さんの祖父母はみんな沖縄戦の体験者です。戦後は基地が残り、分村されて土地もなくなり、家族もばらばらになりました。崎浜さんは、そうした環境の中にありながらも「米軍基地があるということに何も感じていなかった」と言います。崎浜さんを変えたのは、2016年にうるま市で起きた米軍属による女性の暴行死事件でした。そのあとも同様の事件が繰り返され、米兵による性暴力に抗議する昨年12月の沖縄県民大会で「これで最後に」というスピーチをしてから「日米地位協定」改定の運動を始めたとのことでした。最後に崎浜さんは、「戦争は人災である。戦争につながるあらゆることをなくしていかなければならない」と強調しました、

多岐にわたって活発な討論(シンポジウム)
 シンポジウムでは、日米安全保障条約、政権に無批判的なメディアやマスコミの動き、SNSを利用した戦争反対者へのバッシング、一部政党による排外主義の主張、「君が代・日の丸」問題、被害と加害の問題など多岐にわたり、参加者からの発言も含めて活発な討論が交わされました。
 閉会挨拶に立った富樫昌良宮城革新懇常任世話人は、「20代の崎浜さんと90代の鈴木さんに共通の問題に触れていただき、戦争も安保もダメだということが確認できた。改めて『沖縄の問題は全国民の問題』だと感じた」と述べました。参加者からは、「若い方の話に希望を感じた」(60代)、「歴史を正しく学びたいという意欲がわいた」(20代)などの好意的な感想が数多く寄せられました。

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