2022年7月28日
平和・民主・革新の日本をめざす 全国の会(全国革新懇)代表世話人会
7月22日の閣議で、参院選期間中に銃撃されて死去した故安倍晋三氏の「国葬儀」を9月27日に行うことが決定された。戦前の国葬令が現行憲法の施行とともに廃止されており、現時点では個人の葬儀を国が執り行う根拠法令は存在しない。政府は、内閣府設置法第4条3項33号(国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること)が根拠だとするが、その条文は個人の葬儀を国が行う根拠とはならないことを法律の専門家も強く指摘している。国権の最高機関である国会での論議もなしに法的根拠のない「国葬儀」を決定したことは、2014年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定を彷彿とさせる立憲主義蹂躙の行政の暴走である。憲法に反する閣議決定であり、撤回し「国葬儀」を中止するよう強く求める。
国への功労を理由に特定の個人の葬儀を国が税金で執行すること自体が、法の下の平等を定めた憲法第14条や、憲法第19条の内心の自由を侵すものである。「国葬儀」を口実に市民対して弔意の強制や同調圧力が高まることとなれば、さらに深刻な人権侵害をひきおこすことになる。また、憲法第20条の信教の自由との関係も含め「国葬」と憲法との整合性についての懸念は払しょくできず、そのことからもこの間関連法制の整備がおこなえなかったと考えられる。今回の政府の閣議決定は、時間的経緯からも、市民の基本的人権との関係を十分に検討されたとは思えず、その点でも瑕疵のある決定だと言わざるを得ない。
7年8か月続いた安倍政権のもとで、経済的格差が拡大し、貧困が深刻化したのは紛れもない事実であり、「国葬」によって美化されるのは許されない。憲法違反が強く指摘される安保法制・戦争法を強行し、アメリカの戦争に自衛隊を参加させる「道」をつけ、武器の爆買いを繰り返して軍事大国にも突き進んだ。森友学園・加計学園疑惑や、桜を見る会疑惑などで行政を私物化し、公文書の隠蔽、廃棄や統計情報の改ざんなど、官僚組織に忖度と服従を強いたのも安倍政権であった。一方で、世界から立ち遅れた人権状況、とりわけジェンダー平等の実現には背を向け続けた。
これらの弊害は今に続き、民主主義を蝕んでいる。政治の負の遺産が目に付く政権であったことから、「安倍国葬」への市民の評価は賛否が分かれ、社会に分断を持ち込む状況ともなっている。このことからも、「国葬儀」は中止すべきだと考える。
いかなる理由があれ、他者に銃口を向け、命を奪う暴挙が許されるはずはなく、凶行を強く批判する。しかし、そのことと憲法にも反する「国葬儀」を執り行うことは別の問題であり、死者を利用した政府の憲法破壊は厳しく批判しなければならない。
以上のことから、「国葬儀」の閣議決定の撤回と、その中止を重ねて求める。