★6月号の編集後記を見てびっくり。立命館大学憲章から「第二次世界大戦の反省」に関する文言が削除されようとしているとのこと。平和ミュージアムも備えた衣笠キャンパスに「無言館」の画を観にいったこともあります。削除されないように、私もオンライン署名をしました。(大阪府富田林市)
★戦後80年の今年こそ、日本政府は戦争を始め遂行したことを国民に謝罪するとともに、民間空襲被害者の援護法を制定すべきです。(岡山市)
★郵政省に関する悪い報道が続いています。OBとして残念ですが、根本は民営化にあります。公務員の自覚がなくなり、成績本位にあけくれる日々のせいではないでしょうか。郵政ユニオンのみなさんに期待します。(名古屋市)
★6月号1面、吉田さんのお話。本当につらい体験をされたのだなあと思います。それだけに、戦争絶対反対!(高知県いの町)
★6月号1面の吉田由美子さんのお話を読ませていただき、全国空襲被害者連絡協議会の要求事項を知りました。「空襲で心身に障害を負った生存者一人に50万円の一時金を」という、ささやかな要求ですね。こんなささやかな要求さえ拒絶する自公政権にさよならするために参院選をがんばりたいものです。吉田さんがモデルの映画が出来上がれば、一番にかけつけて見せていただきたいと思います。空襲連の連絡先を教えてください。私も戦災被災者の一人です。(兵庫県西宮市)
★民家もない、山間の低山に囲まれた段々の田んぼ。もちろん圃場整備と無縁の田んぼ2反でコメ作りを始めたのが、凶作の翌年1994年。当初はこの谷で7軒の農家がコメ作りにはげんでいたのが、年を経るとともに身体がついていかなくなる農家が一軒、二軒と増えていき、そのたびに「草ぼーぼーにしとけんので田んぼしてくれんか」と頼まれ、31年目の今年は8反も耕作。それでも我が谷は耕作放棄田がいっぱいで、畦草刈りに加え、それこそ草ぼーぼーでは見てくれが悪いので耕作放棄田の田面も刈ることとなる。自民党のコメ政策の失敗によって、こうしてコメ作りをする農家がどんどん減っていく。明らかに人災だ。(滋賀県長浜市)
★今号(470号)も1面から4面までのどの記事も見逃せない情報が目白押しで、励まされています。これからも情勢を切り拓くしんぶんであってほしいです。(高知市)
★27年前に革新懇を結成した当初は20人いた会員が、今は10人に減ってさびしいです。若い人に入会を勧めても「カクシンコン?」と言うだけで、必要性を感じないようですね。(岡山県新見市)
★6月号の記事で一番心を打ったのは、吉田由美子さんの記事でした。3歳の時、3月10日の東京大空襲にあわれたのですね。それ以後の苦労も並大抵のものではなかったと思います。空襲被害者の援護法は、普通の日本人なら誰でもその成立を理解できる法律だと思います。それと同時に許せないのは、治安維持法による犠牲者の救済問題です。戦後処理の問題が不徹底だったことが、いまだに未解決のまま残っている、許せない問題と思います。私が人生の大半を過ごしたのは、宮崎県の都城でした。その都城がアメリカ軍の空襲を受けたのは、8月6日でした。私が住んでいたのは農村地帯でしたから空襲の被害は受けませんでしたが、西の方の空が夕焼けのように真っ赤に染まっていたことは覚えています。市役所、学校、商店街などは大きな被害を受けたのに、陸軍の23連隊の駐屯地は被害がなかったことが、今にして思えば不思議です。吉田さんの記事に関連して思い出したことです。(北海道江別町)