2018年3月28日

★3月の春スキーを楽しんだ。昼食時にいつも顔を合わせる人に3000万署名を訴えたところ相手から歴代の総理大臣の中で一番のわるは、なんと言っても安倍だといって快く署名をしてくれた。9条は絶対守らなければと言って周りの人にも勧めてくれその場にいる人、8人すべてが署名をしてくれました。(愛知・一宮市 75歳)

★インタビューに登場の吉原君は、麻布高校のラグビー部だったと聞く。反骨の前文科次官・前川喜平氏も麻布ラグビーだった。後輩によき人多く、うれしい限りなり。(神奈川・横浜市 76歳)

★小さな労働組合ですが、3000万人署名の目標を一人20筆と決めて取り組みました。
友人・知人・親戚を回って歩いた方、元の職場の同僚を訪ねて署名をしていただいた方、返信用封筒も入れて署名用紙を郵送し返送していただいた方など、他団体で署名に取り組んでいる組合員の分も含めて目標を達成しました。目標を定めての署名行動は初めてのことでした。安倍内閣を打倒し憲法の改悪阻止にむけ、さらに運動をしようと声をかけあっています。(山形・新庄市 69歳)

★ポカポカ暖かいお日様を浴びて、地域の退職者の人たちとスーパー前で3000万署名行動。私はマイクを持って地元弁丸出しでの呼びかけ。「1筆では弱いけど、3000万束ねたら、大っぴらに戦争出来るようにするアベ改憲は打ち砕けること確実です!」と。短時間でしたがたくさんの署名集まりました。(京都市 72歳)

★ 桜が待ち遠しいですが、その前に咲く梅の香りの上品な匂いが最近特に好きになりました。ほんと、いい匂いです。(京都市 63歳)

★森友学園国有地格安払い下げ事件の公文書偽造にも呆れたが、文科省が自民党文教部会の議員に言われて名古屋市立中学校で前川前事務次官が講演した内容をチェックした問題はもっとビックリした。改悪された教育基本法にも『不当な支配に服せず』という条文が残ったのは、戦前の文部官僚による学校現場への締め付けがお国の為に戦争で命を投げ出す小国民づくりにつながった反省があるからだ。今回の『介入』に対して当該校の校長先生が毅然として録音を出さなかったり、きちんと回答したことはエライと思った。同じ官僚を辞めた佐川氏と比べれば、前川氏のやっている事の方が立派なのは誰が見ても明らかだ。(埼玉・桶川市 65歳)

★救急外来勤務です。インフルエンザは収束してきましたが、まだまだ気は抜けません。引き続き、みんなで感染予防に努めていきたいと思います。(岡山・倉敷市 25歳)

★3月号の吉原毅さんのインタビューを興味深く読みました。原発ゼロの社会を実現する重要性を改めて実感しました。(神奈川・川崎市 67歳)

★桜を背負って春がやって来る、春を追い駆けて桜がやって来る、それぞれのふるさとに。桜前線はもうめぐり始めているのですね。政治の春を。3000万署名急がねば。(北海道・札幌市 83歳)

★3月号の4面、牧野富夫先生のAIの記事に学びました。1面の吉原毅さんの爪の垢を佐川、麻生、安倍に飲ませてあげた~い。(北海道・函館市 70歳)

★福島原発事故から7年、強引に再稼働を続ける安倍政権。昨年来、被災した友人が浪江の家に行くというので、お供しました。今もフレコンバッグあふれる死の街です。避難先で夫を亡くした彼女は、こちらに永住するつもりですが、家賃補助も3月で打ち切られ、暮らしも大変です。3月号の吉原毅さんの記事のなかに「原発をゼロにするまで、私は死んでも死にきれない」との言葉がありましたが、私も全く同感です。私も子どもや孫に残してやる一番の贈り物は「平和と原発ゼロ」だと思います。つまり憲法9条、25条を守ること。今年84才になりましたが、これまでのどの時期にも増して忙しい日々も苦にならず、3000万署名をはじめ、地域のみなさんと仲よく手を取り合って活動しています。(東京・北区 84歳)

★声帯と引き換えに命拾いしました。下咽頭がんステージ4を宣告され放射線20回抗がん剤治療、咽頭摘出の手術を受けました。当初食道摘出、小腸移植の予定でしたが、食道は残り、38日間入院で3月18日に退院しました。今から器械を使っての訓練をします。1日も早く運動に復帰できるようがんばります。(大分・別府市)

★3月号の吉原毅さんの信念に満ちた勇気ある原発ゼロに立ち向かう決意に深く感動しまし、勇気づけられました。こんな素晴らしい人に続け!多くの人が心を動かされたと思います。ありがとう。(埼玉・上尾市 87歳)

★広島の桜開花宣言を出す標準木は中区の上幟町の縮景園にある。3月24日に開花宣言が出た。この縮景園の東隣りの広島市立立幟町中学に新採用されたのは1950年。中区革新懇の被爆樹写真展は2月下旬に10回目を実施した。今年も出展したが、当時の教え子たちは80才になっていて、協力者だ。だが、国民学校1年生で被爆した者のなかには毎週、原爆白血病で輸血するしか治療法のない女生徒がいる。3か月ごとに内蔵の管の入口を広げる手術をしている女子もいる。1945年8月6日から、これだけの年月を経る間の苦労、その上今も苦しんでいる教え子たちがいとおしくてたまらない87才となった。(広島市 87歳)

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